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青木滉一郎

フェイブルマンズのジョン・フォード ~三曲と映画の100年後の世代~

更新日:2023年9月19日

スティーブン・スピルバーグは少年時代、ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』を観て、映画の魅力に取り憑かれる。後年映画界に足を踏み入れたスピルバーグは、ただ一度だけフォードに面会することが叶う。フォードはスピルバーグに「地平線が中央にある画はクソだ。地平線は画面の上か下に置くものだ。」とアドバイスを与えたという。


いまやアメリカ映画界を代表する巨匠といえるであろう、スティーブン・スピルバーグの最新作『フェイブルマンズ』が今年公開されました。本作はスピルバーグの幼少期から映画界に入るまでを描いた自伝作となっています。そのなかに上記ようなエピソードが登場するのです。

これは、知っている人も多いだろう有名なエピソードですので、ネタバレというには及ばないと思います。ところでこれを観た私は、70代半ばとなり、キャリアの晩年を迎えたスピルバーグが、はじめて撮った自伝映画にこのエピソードを入れた、それも作品のかなり重要な位置に置いたことの意味について考えました。


私が語るまでもなく、フォードは1910年代、無声映画の時代からすでに一流監督としての地位を築き、以来50年以上アメリカ映画界に君臨した大監督です。フォードは1973年に亡くなりましたし、フォードと同世代の、すなわち無声映画をバリバリ撮っていた巨匠たちは、1人残らずあちらの世界へ行ってしまっています。それどころか、フォードの時代の、つまり現代まで続く映画の礎を築いた映画人と、一度でも同じ空気を吸ったことのある人ですら、いまやだんだん少なくなっているというのが現状です。スピルバーグは、「フォードに間に合った最後の世代」の1人として、その自負と、自分が語らねばならないという責任感をもって、自作にフォードを登場させたのではないでしょうか。(*1)


そんなことを考えていると、フォードが1894年生まれであることに気づくのです。

1894年といえば、私たちの業界、三曲界でいうと、宮城道雄先生の生年であり、初代米川文子先生の生年です。なぜおぼえているかといえば、このお二人は、1994年生まれの私にとってちょうど100歳違いの大先輩だからです。(*2)

たとえば宮城道雄に置き換えて考えてみると、『フェイブルマンズ』のジョン・フォードのことをぐっと手元に引き付けられるような気がします。宮城道雄はまさに明治以後の三曲史の礎を築いた人物ですが、宮城道雄を直接知っている人の数はきわめて少なくなってきているのです。(*3)


それでも100年後の私たちは、宮城道雄大全集も米川文子全集も聴けるわけですし、フォードの映画なんて今まさにシネマヴェーラで大特集をやって盛んに観られています。ゴダールは亡くなりましたが同い年のイーストウッドは新作を準備しているようです。当然スピルバーグの新作も、スピルバーグより年上のアルジェントの新作だって今年かかっています。


9月に開催する私の演奏会に二代目の米川文子先生がご出演くださることは大変光栄かつ幸運なことです。大正生まれの先生は初代米川文子先生の薫陶を受け、現在に至るまでそれぞれの時代の名人とともに第一線で活躍を続けられてきました。

恐れ多くも自分をスピルバーグになぞらえるようですが、この機会にあまりにも大きな先生の音楽に直に触れ、その地平線の位置だけでも見ることができたらと思っています。




*1 余談ですが、『フェイブルマンズ』でジョン・フォードを演じるのはスピルバーグと同世代の映画作家デイヴィッド・リンチです。彼はハリウッドのメインストリーム外から台頭したタイプなので、フォードとは会っていないでしょう。


*2 初代米川文子先生は1995年に101歳を前にして亡くなっており、半年ほどですが私とこの世にいた期間が被っています。もちろんそれをもって先生と「同じ空気を吸った」と言うつもりは毛頭ありません。


*3 菊地悌子先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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